※ネタバレあり
読みました。『僕だけがいない街』の5巻。
マンガを読んでいて「ゾッとした」のは非常に久しぶりでござった。
「良かった!」で終わった4巻から一転
三部けい『僕だけがいない街』4巻(KADOKAWA)第24話より
やたらとかっこいい八代(先生)の言葉できれいに終わった4巻。
雪降る中でコートをたなびかせて背中で語る……なんだこのイケメン。
これで雛月も大丈夫。だって、1巻と5巻の表紙を見比べてみてくださいよ。
“ひとりぼっち”だった雛月の手を引いて歩く悟。
紛れもないハッピーエンドじゃないですかー!よかったよかった。
これで1988年の問題は解決かな?
――と思いきや、不穏な回想シーン(夢)から始まる第5巻。
三部けい『僕だけがいない街』5巻(KADOKAWA)第25話より
……嫌な予感しかしない。
単に「“あの2006年”には帰れない」ことの暗示であるだけなら良いんだけど。
怪しさを際立たせ、疑念を大きくする構成
5巻を読んで改めて感じたのが、本作が明らかに「単行本」という媒体で読んでもらうことを強く意識しているように見える点。
1〜3巻それぞれの「先が気になる!」という締め方に、4巻ラストでの「良かった!」という感じさせる“引き”の部分はもちろんだけれど、5巻はこの1冊で読者の疑念を高めていく構成になっているように読めた。
まず、25話で「あれ、まさか……ギャグでしたー!」という“飴”の話。これだけで終わっていれば本当に“ギャグ”で済んだのかもしれないが、次の26話ですぐに車内で話に挙がっていた“練炭”を回収。
27話で美里の“ひとりぼっち”に視点が向けられた後ほぼ同時に、「彼」を映す意味深なコマが急に増える。それまではなかったのに明らかに一コマ、「ほらほらー、ちゃんとここで見てるし聞いてるんだぞー」と読者に分からせるような徹底っぷり。
これが後の展開のミスリードを誘うものだということも無きにしもあらずだけど、ここまで来るともう……。
後の展開が読めそうで読めないもどかしさ
で、問題の5巻ラスト、30話である。
三部けい『僕だけがいない街』5巻(KADOKAWA)第30話より
アカンやつや、この2ページ。
完全にフラグですやん。
この時点でなんかよろしくない予感がビンビンするんですが、「お、また物語が動くか……?」というところでカッコいい大人が登場するわけですよ。
三部けい『僕だけがいない街』5巻(KADOKAWA)第30話より
あ、ギャグで済まないパターンだ。
そして、例の見開きページでござる。
ゾッとした。
バトル漫画でカッコいいシーンや台詞を読んで「うおおおおおおおお!!」と興奮するのはよくあることだけど、この手の漫画で「ぎゃああああああああああ!!」とドキドキゾクゾクしたのは久方ぶりのことでございました。
これでついに真犯人確定か!と興奮する場面ではあるものの、「じゃあどうなるの?」という具体的な次の展開が予想できないのがもどかしい。
バレた以上はただでは済まないというか、最悪主人公死亡エンドも普通にありそう……と考えたところでまたタイトルが脳裏に浮かんでやるせなくなるのでした。いやー、救われて欲しいところだけど。
このまま物語を畳みにかかっても問題はないと思うけれど、まだひと波乱もふた波乱あるんじゃないかと。2006年の方が何も解決していないし、“再上映”という設定を活かした仕込みがまだありそう。
タイムリープものとして考えた場合、ここで主人公交代、なんてこともあり得るのかしら。自らを“予備”と表現していたケンヤの存在もあるし、“加渡島建設”や“ボヤ騒ぎ”なんて伏線っぽいものもまだ明かされていないし。
とりあえず、悟と雛月が幸せになってくれることを祈る。続刊に期待。